さらに東に分け入ったヤマトタケルは浦賀から房総へ渡ろうとしたが、海の神の機嫌が悪く波が荒れ、船は波に翻弄されて沈みそうになりました。 ヤマトタケルに従ってきた妻のオトタチバナヒメは言いました。「あの相模国で野が燃えた時、燃え盛る炎の中で、あなたは私の身を守ってくださいました。あなたのお役にたてるのであれば死んでも悔いはありません」そして、オトタチバナヒメは海の神をなだめるため、自ら荒波に身を投じたのです。すると、荒れ狂っていた海は鎮まりヤマトタケル一行は無事に対岸に着くことができました。七日後、オトタチバナヒメが身に付けていた櫛だけが海辺に流れ着き、それを見つけたヤマトタケルは泣きながら櫛を埋めて墓を作ったのです。 やがて東征を終えたヤマトタケルは、大和へ戻ろうと足柄(あしがら)山の頂上に着いたとき、海を望み、犠牲となったオトタチバナヒメを偲んで悲嘆にくれ、「わが妻よ」と呼びかけました。それから、このあたりを「吾妻(あずま)」といいます。

非表示 表示
終了