ヤマトタケルは天皇より西国征伐を命じられる。 熊襲(くまそ)では女装をして 熊襲建(クマソタケル)兄弟を討ち、 その武勇を讃え、 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と 呼ばれるようになった。
父・代景行天皇に今度は東国征伐を命じられる。 相模の国で、国造たちに騙されて野に誘われ、周囲から火を放たれるが、 神剣で草を払い野火から脱出した。 草をなぎ倒す剣から「草薙の剣」と呼ばれるようになった。
ヤマトタケルはどんどん体調が悪くなり、 望郷の思いが募る。 愛した后を懐かしみながら、ついに力尽き倒れた。 その御陵から白い大きな鳥が飛び立った。 ヤマトタケルは白鳥となって 恋しい国へ帰って行ったのである。
ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭武命)を御祭神として祀る建部大社は平安時代末、平治の乱で敗れた源頼朝が平家に捕らえられ伊豆に流される 途中、建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願をし、見事その願いが叶った事から、武運の神として信仰を集めてきました。 以来、建部大社では開運出世・必勝・厄除・災難除の神として広く崇敬され、多くの方々が参拝に来られます。
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