日本武尊を祀る滋賀県大津市瀬田唐橋のたもとに鎮座する近江国一之宮・建部大社



一.ヤマトタケルの西征

ヤマトタケルは天皇より西国征伐を命じられる。 熊襲(くまそ)では女装をして 熊襲建(クマソタケル)兄弟を討ち、 その武勇を讃え、 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と 呼ばれるようになった。

物語を辿る

物語を辿る

二.ヤマトタケルと草薙の剣

父・代景行天皇に今度は東国征伐を命じられる。 相模の国で、国造たちに騙されて野に誘われ、周囲から火を放たれるが、 神剣で草を払い野火から脱出した。 草をなぎ倒す剣から「草薙の剣」と呼ばれるようになった。


三.妻・オトタチバナヒメの入水

ヤマトタケルは浦賀から房総へ渡ろうとしたが、 海の神の機嫌が悪く波が荒れ、 船を進めることが出来なかった。 船に同行していた后のオトタチバナヒメは 海の神をなだめるため、 敷物を荒波に敷き身投じた。

物語を辿る

物語を辿る

四.ヤマトタケルと伊吹山の神

伊吹の山に悪い神がいると聞き向かった。 途中、牛ほどの大きな白い猪に出会うが、 実は山の神そのものであった。 ヤマトタケルは山も神の怒りを買い、 大雨に打たれ体力を激しく消耗してしまう。


五.ヤマトタケルと白鳥伝説

ヤマトタケルはどんどん体調が悪くなり、 望郷の思いが募る。 愛した后を懐かしみながら、ついに力尽き倒れた。 その御陵から白い大きな鳥が飛び立った。 ヤマトタケルは白鳥となって 恋しい国へ帰って行ったのである。

物語を辿る

おわりに

ヤマトタケルノミコト(日本武尊・倭武命)を御祭神として祀る建部大社は平安時代末、平治の乱で敗れた源頼朝が平家に捕らえられ伊豆に流される 途中、建部大社に立ち寄って源氏再興の祈願をし、見事その願いが叶った事から、武運の神として信仰を集めてきました。 以来、建部大社では開運出世・必勝・厄除・災難除の神として広く崇敬され、多くの方々が参拝に来られます。

イラスト

添田 一平


ページの先頭へ